07 12月

読売新聞 昭和58年5月27日朝刊 「涙に暮れた 津波の海」

涙に暮れた津波の海
水辺の歓声、一転悲鳴
男鹿半島 岩にすがり、力尽く子ら

読売新聞 昭和58年5月27日朝刊 23面

 「危ない。早くオカヘ上がれ」その叫びが届く間もなかった。みるみる盛り上がった海面が、水遊びを楽しむ子供たちの上に容赦なくのしかかった。ついさっきまで、初夏の日を浴びて、のどかに光っていた秋田・男鹿半島の海。子供たちの歓声が悲鳴に変わり、楽しいはずの遠足は一瞬にして暗転した。漁民たちの懸命の救助もむなしかった。二十六日昼、東北・北海道地方を襲った日本海中部地震。熊代港では護岸工事の作業員たちが次次と海に投げ出され、夜に入っても続く余震に、市民は不安な夜を明かした。

漁船くり出し、必死の救出

【男鹿で本杜記者団】男鹿市の加茂海岸を大津波が襲った時、浜辺では、遠足に来た北秋田郡合川町の合川南小の四、五年生四十五人が、引率教諭二人とともに水遊びを楽しんでいた。悲劇は、付近の人たちの目の前で起った。
 海岸を見おろず高台で旅館を営む大友興子さん(42)によると、地震に驚いた大友さんらが外に飛び出したところへ、子供たちがマイクロバス二台で到着した。
 教師らは車中にいたせいか、地震の大きさがあまりわかっていなかったらしく、岩場に子供を連れて行き遊ばせ姶めた。約十分後、突然水が引き、海が盛り上がったと思うとまるで壁のような波がグングン追ってきた。「津波だ、逃げて」と大友さんらが叫んだ時には全員が、一瞬のうちに波にのまれた。  子供たちはもがき、頭を浮き沈みさせ「助けて」と泣き叫ぶ。百㍍も沖に流される子も出た。「子供を見捨てるな」 漁民たちは何度も引いては押し寄せる津波の中を、防波提の内側から持ち出した漁船四隻をくり出して次々に助け上げた。婦人たちも、泣き声を上げながら防波堤からロープを投げたり、サオを差しのべた。
 が、波の力の方が強い。間もなく五年生の土濃塚(とのづか)信子ちゃん(10)が遺体で見つかった。やっと救出した四年生の福岡有希子ちゃんも病院で死亡。十一人も波間に消えた。
 かろうじて助けられた児童は手やヒザから血を流し、全員ずぶぬれで、うち十人が病院に運ばれた。
 「口と目を閉じ、息をしないようにして、そばの長いクイにじっとしがみついでいた。隣で綱につかまっていた友達は、綱が切れて流されてしまった」と、唇を震わせる女の子。信子ちゃんらの死を知らされると、同級生たちは「何も悪いことをしていないのに、どうしてこんなことになるの」と大声で泣きじゃくっていた。
 引率の工藤健二教諭(47)「最初はただの波だと思ってもいたらだんだん子供たちが流されていってしまった。投網や岩にしがみついている子供に波がおさまるまでがんばれツと声をかけだのだが・・・・」と言ったきり、あとは声にならない。
 地元の人でさえ「あんな津波はみたことがない。防波提の内側がブクブクと温泉ように吹き出したかと思うと、アッと言う間に海が盛り上って押し寄せてきた」と驚く津波の急襲。
 海岸で一部始終を見ていた大友さんは、「私らや地元の古老でさえも津波の経験がなく、まさか津波が来るとは思わなかった。防波提の上に船が打ち上げられる津波の中を「船が動いていれば大丈夫」夢中で助けに行った漁民がいなかったらもっと恐ろしい事故になった」と青ざめた顔で話していた。

打ちち寄せられるリュック
立ちすくむ父母

 夕方には、現場に予供たちの父母も続々駆けつけ、肩を寄せ合って沖を見つめる目は真っ赤。子供たちが遊んでいた場所から五百㍍ほど離れた海岸には、赤や青のリュックや帽子、上着などが波に打ち寄せられていた。
 現地対策本部の置かれ加茂海岸の旅館「金竜」には、父母約三十人が詰めかけた。やり場のない怒りをおさえ込むように、押し黙って二階の控え室に向かった。
 そのうちの一人、行方不明になっている山上岳彦君の父親春秀さんは、「思いがけない災難に、ただぼう撚としている。早く見つかって欲しい」と祈るような口ぶり。
 工藤教諭は、ショックのため本部に寝込み「無我夢中で子供を助けようとしたが、このような結果になって申し訳ない。行方不明になっている子供たちが一刻も早く見つかればいいのだが」と話していた。
 捜索は日没と同時に打ち切られ、きょう27日も、日の出を待って開始される。

読売新聞 昭和58年5月27日朝刊 23面
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