27 1月

紀伊民報 昭和62年8月25日 「津波の教訓いまも」

紀伊民報 昭和62年8月25日

紀伊民報 昭和62年8月25日

津波の教訓いまも、戦前の教科書
「稲むらの火」作者、中井さん(南部)
防災功績で大臣表彰
9月の防災の日にちなみ

 戦前の小学校国定教科書に、津波の教訓で知られる「稲むらの火」を書いた南部町南道十五、元小学校長、中井常蔵さん(八十)は、九月二日、国土庁長官から防災功績者として大臣表彰される。一日は「防災の日」だが中井さんは三年前この物語を五百部自費出版して希望者に無料配布したほか、昨年十一月、財団法人国土計画協会の「人と国土」誌に「防災と教育」を寄稿するなど、防災に努めたことが認められた。
「稲むらの火」は安政元年(一八五四)の大地震の時、有田郡広川町の庄屋、浜口儀兵衛(号・梧陵)が大津波の前兆で海水が急激に引くのを見て、丘の上にあった自分の稲束を燃やして、祭りに興じていた村民たちに危機を知らせ、大津波から村民を救った話。儀兵衛はその後私財を投じ長さ約七百㍍の防潮堤を造り防災に尽したほか、耐久舎(現高校)を創立し、明治になって初の県会議長を務めた。
中井さんは南部小で教員だった昭和九年、文部省が全国の教員から公募した新教材に「稲むらの火」が入選、同十二年から二十二年までの十年間、小学五年の国語教科書にさし絵入りで掲載され、多くの子どもたちに深い感銘を与えた。
この原作は、親日作家で知られたイギリス出身の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が英訳して世界に紹介していたが、広川町隣接の湯浅町生まれの中井さんは、子どものころから儀兵衛の遺徳を知っていたうえ、和歌山師範学校(現和歌山大学)在学中、専攻した英文教材に八雲のア・リビング・ゴッド(生ける神)の題名で儀兵衛(八雲は五兵衛と記し、年代、地名は記していない)のことを習った。
中井さんは「津波の恐ろしさと儀兵衛の心を子どもたちに伝えよう」と、原文を和訳し子どもに分かりやすく書き上げて応募、ちょうど五年生担当だったので自作品の掲載された教科書を教える幸せを味わった。
昭和五十八年五月、日本海中部地震の津波で遠足の小学生十二人が死亡した時、大阪の五嶋隆春さんが「戦前のあの教科書を習っていたなら、悲劇は防げたのではないか」と新聞に寄稿しているのを見た中井さんは、さつそく五百部を自費で再版して全国の希望者に無料配布した。
また、昨年十一月号の「人と国土」で、「稲むらの火の思い出」と「国土周辺の地殻、地質、海底の地理等に詳しい学識者による教材など、科学の分野で防災の基礎知識をうえつけるとともに、国語や道徳の教材で徳育の芽を育てて知徳一体の人間育成の教育を」と提言した。
この再版本が縁で八雲の孫“小泉時さん(六十二)東京都世田谷区瀬田一の七の二十二から礼状が届き、六十年には八雲のひ孫(曽孫)に当たる凡さん(二十五)が中井さん宅を訪れるなど親交を深めている。
中井さんの話 「恥ずかしいことですが、上京してお受けします」

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−編集後記−
「耐久舎」ではなく、「耐久社」が現耐久高校の正式名称。また、日本海中部地震の小学生の犠牲者は13人であった。