19 2月

大阪朝日新聞 昭和22年12月22日 「近畿、四国、中国に激震」

大阪朝日新聞 昭和22年12月22日

大阪朝日新聞 昭和22年12月22日付 林耕二氏所蔵

大阪朝日新聞 昭和22年12月22日 有田広川町

 有田
湯浅町、浸水家屋250戸、流出船舶30、死者7名、行方不明多数、広村海岸にそうた約300戸が浸水、なかでも県立耐久中学校では、校舎内の机なども波にさらわれ、建物4むねが流失、同校内に住む松下校長夫人が行方不明となり同校裏手の日東紡支部工場社宅48戸が半壊、同工場内倉庫の綿花3800表のうち約1000表が流出した、また同村、湯浅町の6名は3隻の漁船で同日午前2時ごろ出港したまま行方不明

注)漢数字の表記は混乱を防ぐために英数表記に、また、行方不明者(耐久中学校長を除き)も実名表記されていますが、諸般の事情を考慮して敢えて表記していません。尚、耐久中学に於ける被災状況に関しては、県立耐久高校の同窓誌「耐久」(19号)にも関連記事が掲載されています。
大阪朝日新聞 昭和22年12月22日

大阪朝日新聞 昭和22年12月22日付続報 林耕二氏所蔵

 -編集後記−
来月で東日本大震災からも5年が経とうとしています。貞観地震、津波の18年後(仁和3年7月30日、グレゴリオ暦887年8月26日)には、南海トラフを震源とする地震が発生していることを知る人は多くないようにも思います。南海トラフの巨大地震の発生が懸念される中、過去の特に写真などが掲載されている新聞記事の存在を知ることが、その時に備えるためには最も重要だと考えています。今回、大阪民衆史研究会の林耕二氏の祖父亀太郎氏が大切に保管されていた昭和南海地震時の新聞のコピーを林氏のご好意で転載させて頂きました。特に、昭和22年12月22日付の新聞記事によって有田郡の被害状況として広川町(当時の広村)のことも詳しく伝えられていますので、ご参考に記事の内容を上記の通り紹介させて頂きます。数字だけにとらわれることも非常に危険なことであることも理解して頂ければと思います。(23日、24日付の続報記事も頂いていますので、機会をみて転載をさせて頂ければと考えています。)