26 1月

紀伊民報 平成15年1月1日第一面 「教科書に復活を」

紀伊民報 平成15年1月1日

紀伊民報 平成15年1月1日 第一面

紀伊民報 平成15年1月1日(水曜日)の記事より

「稲むらの火」作者は南部の元校長 教科書に復活を 
防災教材として最適 賛同者全国に広がる 

《前文》
 戦前の10年間、文部省発行の国定教科書「小学国語読本」巻十に掲載され、約1000万児童の教材になった『稲むらの火』を、もう一度、教科書に復活させようという運動が全国的な広がりを見せている。自分の稲に火をつけ津波の来襲から村人を救った実話で、作者は南部町南道に住んでいた元小学校長の中井常蔵さん(平成6年死去)。元国務大臣の綿貫民輔氏など、政治家や著名人ら22人が賛同者となり、開設したインターネットのホームページ(HP)には関連する人物像などの記事が増え続け、A4サイズにすると既に160ページに達する勢いだ。

 (10・11面に関係記事に続く)

《本文》
 ホームページ「稲むらの火」を立ち上げたのは、進学校で有名な私立灘高校=神戸市東灘区=の理事長で会社社長の嘉納毅人さん(59)=神戸市東灘区=と、物語の舞台となった広川町出身の日本気象協会顧問、津村建四朗さん(69)=千葉県千葉市=。
 2人は作者の中井さんが昭和62年に国から防災功労の表彰を受けたことをきっかけに知り合い、以降、中井さんの自宅をたびたび訪問していた。中井さんは湯浅町出身だが、『稲むらの火』を書いた南部小学校教員時代から終生、南部町で暮らし、印南町立切目小学校の校長で退職した。
 昨年6月2人は、「自らの死後、教科書への再掲載を」と遺言した中井さんの思いを実現しようと、『稲むらの火』の資料保存に努めるとともに知人に協力を呼びかけ、ホームページを作った。その結果、元東京大学総長で参議院議員の有馬朗人さんが「教科書で習ったことを覚えている。大いに頑張ってほしい」と賛同人として協力。現在、内閣府や和歌山県、東京大学地震研究所などのホームページの各サイトからリンクされている。
 ホームページへの書き込みは日を追って増え、関連する人物像のほか、各新聞紙面で取り上げられた記事が13本、12人の著作集が掲載されている。なかには、美智子皇后陛下が『稲むらの火』に感銘を受けた経験を話した平成11年の記者会見の内容なども収められている。
 嘉納さんは昭和50年代にも、教科書再掲載を求めて、一人で文部省(現文部科学省)や、教科書会社を訪ね歩いたことがある。しかし、「掲載を決定するのは執筆者だけ」と断られ、教科書執筆者にも掲載を訴えたが、色よい反応はなかった。「教科書執筆者に『稲むらの火』が教材として優れていることを認めてもらう必要があると痛感した。ホームページの制作はそのための第一歩」と嘉納さんはいう。

 津村さんは、耐久中学生時代、『稲むらの火』を国定教科書に推薦した今村明恒博士(地震学、1870―1948)が書いた「『稲むらの火』の教方に就いて」を読み、主人公・浜口梧陵(1820―1885)の精神に感銘。京都大学学生時代に読んだ今村博士の『地震の征服』の影響で、東京大学地震研究所や気象庁に勤務、地震予知に関する研究に取り組んだ。「先輩の今村博士が推薦した『稲むらの火』こそ、防災教育には最適の教材」という。
 戦後、教科書から消えた『稲むらの火』が、再び見直されはじめたのは昭和58年6月。秋田県沖に発生した日本海中部地震津波(M7・7)の時からだ。犠牲者104人中、遠足に来ていた児童13人が津波にさらわれ、『稲むらの火』を読んだ大人から、「もし、あの教材を学んでいたら」という声が全国から新聞などに寄せられた。地震では津波を予想し、高台に避難する大切さが、若い世代に伝えられていなかったからだ。
 当時、梧陵の地元、広川町で「稲むらの火を教科書に載せる会」の会長として運動した石原久夫・現広川町長(74)は、「まだあきらめていない」という。ホームページの賛同者に名を連ねるのもそんな気持ちからだ。平成7年、梧陵の心に合わせ町づくりをしていこうという町民憲章を制定した。
 昨年、今後30年以内に南海地震・東南海地震の発生確率は40~50%という国の予測が発表され、内閣府(防災担当)監修の広報「ぼうさい」には、嘉納さんらのホームページが紹介された。
 ホームページ「稲むらの火」のURLはhttp://www.inamuranohi.jp/


 『稲むらの火』は、広村(現広川町)の浜口梧陵が安政時代、自分の田の稲に火をつけて村人に津波の来襲を知らせ、人々を被害から救った実話を、ラフカディオ・ハーン(日本名・小泉八雲、1850―1904 )が「ア・リビングゴッド」として描き、中井さんがそれをもとに教材として書き直し、文部省の公募で入選した作品。昭和12年から22年までの国定国語教科書に採用された。

《絵解き》
【『稲むらの火』が昭和12―22年までの10年間掲載された当時の国定国語教科書 】

【ホームページ「稲むらの火」の発起人の嘉納毅人・灘高校理事長。学生のころから防災教育に関心が強い 】