02 12月

読売新聞 東京朝刊 平成17年1月18日 「稲むらの火」 海外でも有名?

yomiuri20050118

小泉首相が逸話披露

 「『稲むらの火』という話は本当ですか」
 小泉首相は七日の閣僚懇談会で、インドネシア・スマトラ島沖地震の被災国支援緊急首脳会議の際、シンガポールのリー・シェンロン首相から、こんな問いかけを受けたことを披露した。
 「稲むらの火」は、一八五四年に「安政の南海地震」が起きた際、現在の和歌山県広川町で地震後に津波が起こってくると予感した浜口梧陵という人物が「稲むら」(稲束などを積み重ねたもの)に火をつけて多くの人を誘導し、救った実話。小泉八雲によって海外にも紹介された。小泉首相は、最近は国内でもあまり知られていない話を外国首脳が知っていたことに感心した様子だった。

尚、同紙(同日朝刊)には、「稲むらの火」に関わる以下の連載も掲載されている。

[減災・阪神大震災10年](8)被災体験伝える 警戒心、絶やさず(連載)

 「津浪祭」。そんな珍しい名前の行事が、紀伊水道に面した和歌山県の小さな町・広川町で毎年十一月に行われている。
 昨年で百二回となった儀式では、町民が津波対策を進めてきた先人に感謝をささげ、被害防止を祈る。
 その由来について、小泉首相がシンガポールのシェンロン首相からたずねられたのは、今月六日。インドネシアで二十六か国・機関の緊急首脳会議が開かれた当日だった。大惨事となったインド洋津波の被災国支援が議題になったその日、シェンロン首相は「稲むらの火」の故事についてたずねたのだった。
 江戸時代の一八五四年、安政の南海地震で起きた津波が紀伊半島を襲った。波が沖に引く津波の前兆に気付いた庄屋、浜口梧陵は、収穫してあった稲束に火をつけて村人たちに急を知らせ高台に避難させた――という史実。
 「津波の知識がインド洋沿岸の国民にもあったなら、十五万人以上もの犠牲者は減らせたのでは」。そんな思いがシェンロン首相の胸中に浮かんでいたはずだ。
    ◇
 「Tsunami」が国際語になったほど、津波に襲われ続けてきた日本。
 その脅威を、より強く意識してきた所がある。太平洋のほぼ中心にあるハワイだ。アメリカ大陸西海岸とアジア極東海域は、いずれも大地震の多発ゾーン。ハワイは西と東からも津波に襲われる位置にあり、再三被害を受けてきたのだ。
 きょう十八日に神戸で始まる国連防災世界会議では、インド洋沿岸国を襲う津波の被害を減らす広域警報システムの整備が提言される。
 モデルとなる太平洋海域津波警報システムがハワイに置かれているのは、そうした事情を踏まえている。
 現地の減災教育は世界に例を見ないほど徹底している。小学生は四年になると、ヒロ市の「太平洋津波博物館」を見学。過去の津波被害の教訓や警報が出た時の対応などを学ぶ。
 被災経験を来館者に伝えているミルドレッド・ツユコ・ウチマさんは「ここは、津波への警戒心を高める、世界でただ一つの博物館」と使命感を燃やしている。
 インド洋大津波の惨事を知ったハワイ大のダドリー教授は「多くの命を救うのに警報システムと同じほど重要なのは、警報を住民がどう受け止め行動すべきかを知ること」と語る。
 州内の電話帳には、津波の浸水予測図も載っている。作成者のカーティス・ハワイ大教授は「電話帳なら、だれでも見る。自分の家が危険かどうか、一目で分かる」と語る。生活に密着した「減災文化」が構築されている。
    ◇
 東北や北海道の沖合で一昨年相次いだ地震の際は、多くの住民がすぐに避難せず、津波予報が出るのを家で待っていた。「皮肉なことだが、日本の警報システムが優れていたことも一因になった。警報に頼りがちになってしまうからだ」と、今村文彦・東北大教授。
 東南海・南海地震に伴う津波で大きな被害が想定される紀伊半島の沖でマグニチュード6.9の地震が起きた昨年九月五日にも、似た反応が見られた。
 津波警報が出されたが、読売新聞社の調査では、沿岸部四十六市町のうち避難勧告を出したのは六市町だけ。津浪祭の地元・広川町さえ出していなかった。
    ◇
 戦後最悪の被害を生み十年を迎えた阪神大震災や新潟県中越地震などは、それぞれ教訓を残した。
 阪神では、弟を亡くした兵庫県の長岡照子さん(78)ら三十人以上が「語り部」として登録。三千人以上が犠牲になった昭和三陸津波(一九三三年)に襲われた岩手県では田畑ヨシさん(80)が紙芝居で、ともに震災のこわさや教訓を伝える活動を続けている。
 首都直下など大地震が迫る列島。被害を少しでも減らすため、歴史と体験に根ざす「減災文化」作りが急がれている。(終わり)

この記事は、読売新聞社の許諾を得て転載します。

-編集後記-
上記の読売新聞と同様の内容が、当時の「小泉内閣メールマガジン 第171号」(2005年1月13日)にも、小泉元首相ご自身が以下の通り書かれている。

民間の知恵とやる気と実行力
  先週6日、インドネシアのジャカルタに世界各国と国際機関の指導者が集まり、インド洋の津波で被害を受けた国々に対する援助を表明し、各国が力を合わせ国連主導で支援していくことを決めました。

 日本は、以前から津波の被害がありました。皆さんご存知のように、英語で津波のことを「Tsunami」といいます。

 今から百年以上前の1854年12月24日、安政南海地震が起こったとき、今の和歌山県広川町の郷土の豪族浜口梧陵は、地震の直後、海岸からはるか沖まで波が引いていくのを見て、「これはきっと津波が来る」と、夕闇の中、取り入れるばかりになっていた大切な田んぼの稲むらに火をつけて村人たちに知らせ、避難の道しるべにしたそうです。この話は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が短編小説に書き、それを子供向けに書き改めたものが1930年代と1940年代の小学校5年生の国語の教科書に載せられていたそうです。ジャカルタの会議で会ったシンガポールの首相もこの話を知っていました。

また、神戸での国連の防災国際会議の後に発行された「小泉内閣メールマガジン 第172号」(2005年1月20日)には、以下のような「稲むらの火」として伝えられている物語の後日記も確認できる。

天災を忘れずに
 先週のメルマガでご紹介した「稲むらの火」で多くの村人を津波から守った浜口梧陵は、その後私財をなげうって地元の海岸に堤防を築きました。それから約90年後、再び村を津波が襲った時には、この堤防のおかげで被害を食い止めることができたそうです。

 「天災は忘れたころにやってくる。」といわれますが、私たちはこれを忘れることなく、経験を世界の人々と共有して、防災のために世界が力を合わせていくことが大切だと思います。

自らのメールマガジンに何度も梧陵さんのことを書くなど、小泉元首相にとって梧陵さんは特別な存在に感じられたのかと思います。「稲むらの火の館」の玄関脇にある石碑にも小泉元首相が揮毫されている。