01 12月

読売新聞 大阪版 昭和58年6月12日 「窓」 稲むらの火とともに語りつがれる日本の心

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稲むらの火とともに語りつがれる日本の心

 先週の初め、二回に分けて紹介した「 稲むらの火」の物語。四十年近く前の教科書に載っていたあの庄屋の五兵衛の話をなつかしく読んで下さった方も多かったようです。大勢の方から手紙や電話をいただきましたが、その中にびっくりするような電話がありました。

あれは私が書きました

「モシモシ、窓さんですか。あの五兵衛の話、実は私が書いたんです」 「ええっ、ほんまでっか」。お電話は和歌山県南部町、中井常蔵さんとおっしゃる 七十五歳の方からです。

「昭和十年ごろ地元の小学校の先生をしていた時、文部省が教科書の題材を募集、私が書いて入選したのがこの” 稲むらの火”なんです。それにこの五兵衛 の話はそれよりずっと以前に小泉八雲が書いているんですよ」。

モデルは浜口儀兵衛さん

 中井さんの話では、五兵衛のモデルは、幕末から明治にかけて有田郡広村(現・ 広川町)に住んでいた浜口儀兵衛という人で、津波が起きたのは安政元年(一八五四)。儀兵衛さんはそのあと私財を投げうって海岸に堤防を建設、維新後にはいまの県立耐久高校の前身にあたる耐久学舎という学校もつくったそうです。それにしても 、このいかにも日本らしい五兵衛の話をいち早く小泉八雲が書いていたとは知りませんでした。八雲といえば明治の初めに日本に帰化したイギリス人ラフカディオ・ハーンの日本名で、「怪談」や「霊の日本」など日本に関する印象記や随筆をたくさん書いている人です。調べてみると日本の風習や伝説を書いた「佛の畑の落穂-極東における手と魂の研究」という作品に「ア・リビングゴッド」(生ける神)という題で五兵衛の話が載っています。

 中井さんはそれを子供向きに書き直されたそうですが、日本の教科書からとうに姿を消した「稲むらの火」は、いまフランスの小学校国語読本に採用されているということです。日本人の心が日本人以外の人たちによって語りつがれているなんて、うれしいけど、やはりさびしい気持ちです。・・・・

(以下省略)