01 12月

紀州新聞 昭和59(1984)年9月9日   燃えよ「稲むらの火」

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稲むらの火 中井常蔵

燃えよ「稲むらの火」  五島隆春

 昭和五十八年五月、日本海中部地震が発生し多くの生命が失われましたが、特に遠足先の海岸で犠牲となった秋田県川合小学校の生徒十三名の痛ましい姿を思い浮かべるとき、私は無念でなりませんでした。マグニチュード七・七のこの大地震では各所で地割れが生じ、震動の激しさを物語っているようでした。ところが、この直後に遠足先の海岸に到着した小学生たちが浜辺で楽しそうに遊んでいたのです。そこへ大津波が押し寄せて逃げ遅れた十三名の尊い命が失われてしまいました。何という痛ましい災難でしょうか。

 私はこの悲しみと怒りともいえる思いを読売新聞社に訴えたのでした。小学五年生のとき習った国語教科書の「稲むらの火」の教訓が常に心に残っていたからです。

「戦前のあの教科書を今の子供達が習っていたならこのような悲劇も防げたのではないか」との私の投稿を読売新聞の社会面で二日間にわたって取りあげられ大きな反響を呼びましたが驚いたことに、この「稲むらの火」の作者が、今もご健在であることが判明したのです。

 和歌山県南部町に住む元小学校長、中井常蔵氏でした。私は早速、和歌山県の一流地方紙(紀州新聞)へ詳細を伝え大きく取りあげて頂きました。その直後、NHKからも電話があり、取材したいとのことで稲むらの火と中井氏について近畿全域にテレビでも紹介されたのでした。

 これがご縁となって中井氏と私の交際が始まりましたが、「稲むらの火」の主人公、浜口五兵衛さんのお孫に当たるお方が、有名な菊正宗酒造の現社長、嘉納毅六氏であることも知ることが出来、同社専務の嘉納毅人氏(社長の子息)からお便りと文献を頂きました。それによると東大教授、平川祐弘氏も昨年の夏、「よき国語教科書の思い出」と題して稲むらの火と作者の中井常蔵氏について講演され、今年五月発行の日本教育版に詳しく掲載されていることも知り得たのです。

 私の調査だけでも稲むらの火の物語は現代でも多くの人々に記憶され、印象づけられて心の片隅に根づいているようです。それは単に戦前の国語教科書への郷愁の思いだけでなく、自分の財産に火をつけて大津波から村人達を救った浜口五兵衛さんの愛に感動されたからでしょう。

 私は最近、当時の小学教科書を一冊残らず調べてみました。確かに神国日本とか、軍国思想を称えた内容のものが多く、民主教育制度の現代から眺めると、まさにナンセンスとしか言いようがありません。

 しかし、そのような中に「稲むらの火」の如き、現代にこそ必要と思える教材が含まれているのに、時代と共に抹消されてしまったことは遺憾でなりません。

 この物語は愛の行為をとらえたものでしょうが、防災の面でも意義があるように思います。

 大津波が予想される東海大地震は明日発生しても不思議ではないと専門家はくちをそろえ、関東大震災の危機も迫っているようです。地震列島といわれる日本に住む私たちは、この意味でも一寸先は地獄といえます。忘れた頃にやってくるといわれる天災です。

 「稲むらの火」を今こそ大きく燃えあがらせて愛の尊さを語り伝え、そして又災害による悲劇を忘れることなく常に目をさましていたいものと思います。

 このたびの特集編「稲むらの火」刊行を心からご支援申し上げて筆を置きます。

編集後記
新聞記事では、「川合小学校」と記されていますが、正しくは「合川南小学校」(現在は、統合されて合川小学校となっているようです。)になります。尚、昨年(2015年)は、日本海中部地震から32年でした。33回忌ということでしょうか、「旧合川南小学校児童地震津波殉難の碑」の前で合川小学校の生徒と教職員らが参加して、犠牲者の冥福を祈ったことが北秋田市のホームページでも伝えられています。