30 11月

東京朝日新聞 昭和10年6月20日    「地震国の忘れ物」

 昭和9年、文部省が全国小学校教員を対象に新しい国語と修身の教材を公募するとの発表をきっかけに、教育に熱情を傾注する年代にあった中井常蔵先生が、かねてから子供に愛される教科書、親しまれる教材を念願していたので、この好機逸すべからずと、応募した。
 昭和10年6月19日には、「稲むらの火」が国定教科書に採用された事を松田文相は、知っていたと思われる。

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東京朝日新聞  昭和10年6月20日   地震国の忘れ物
小学教科書に「地震」がない、松田文相も「早速一項を」

 19日正午、例の今村地震博士が日本倶楽部で政界のお歴々七十余名を相手に「地震のABC」を一時間に渡り講義した。
 現在の尋常小学校の国定教科書にはまとまった地震の知識に関する項目が全然無いので大震災後、早くも13年を経過した今日、幼い小国民の間には地震に対する知識が甚だ欠乏している。
 あの恐ろしい大震災の洗礼もかくては空しくなるから尋常小学校の五年又は六年の教科書に地震の一項を至急追加する事を要すると言う意見。
松田文相も「ホウ、そうじゃ、そうじゃ」と感心していたから、この一項案外早く実現するらしい。

編集後記
嘉納毅人氏が、以前投稿されたものです。当時の事情は、今村明恒博士が著された「地震の国」(「ドリアン」の章)にも、以下のように記されている。

 文部大臣は、昨年の関西風水害直後、地方庁あてに訓令を出されて、生徒児童の非常災害に対する教養に努めるよう戒いましめられたのであった。まことに結構けっこうな訓令である。ただし、震災に関するかぎり、小学教師は、いつ、いかなる場合、いかようにしてこの名訓令の趣旨を貫徹せしめるかについては、すこぶる迷っているというのが、いつわらざる現状である。実際、尋常科用国定教科書をいかにあさって見ても理科はもとより、地理・国語・修身、その他にも、地震を主題とした文章は一編も現われず、ただ数か所に「地震」という文字が散見するのみである。地震の訓話をするに、たとえかような機会をとらえるとしても、いかなることを話したらよいか、それが教師にとってかえって大きな悩みである。文部大臣の監督下にある震災予防評議会が、震火災防止をめざす積極的精神の振作しんさくに関し、内閣総理をはじめ、文部・内務・陸海軍諸大臣へあて建議書を提出したのは昭和三年(一九二八)のことであるが、その建議書にはとくに「尋常小学校の課程に地震に関する一文章を加える議」が強調してある。同建議書は文部省に設置してある理科教科書編纂委員会へも照会されたが、同委員会からは、問題の事項は加えがたいむねの返事があった。地震という事項は、尋常科の課程としては難解でもあり、また、その他の記事が満載されていて、割り込ませる余地もないという理由であった。この理由はとくに理科の教科書に限られたわけでもなく、他の科目についても同様であったのである。難解なりとは、先ほどから説明したとおり問題にならぬ。われわれはその後、文案を具して当局に迫せまったこともあるくらいであるから、当局ももはや諒りょうとしておられるであろう。さすれば主な理由は、余地なしという点に帰着するわけである。つくづく尋常科教科書を検討してみるに、次のようなことが載せてあるのを気づく。すなわち「南洋にはドリアンという果物ができる。うまいけれども、とても臭くさい」と。このような記事を加える余裕があるにもかかわらず、地震国・震災国の幼い小国民に地震のことを教える余地がないとは、じつに不可解なことといわねばならぬ。

 ここまでくると、拍手喝采かっさいが一時に爆発して満堂まんどうを圧し、演者は暫時ざんじ、壇上に立ち往生をした。ただし、この拍手喝采かっさいは演者に向けられたというよりも、むしろ聴者の一人たる松田文相に向けられたものであった。そして文相はわずかに苦笑をもってこれに応酬せられるばかりであったというのが実況である。
 その夕、帰宅していると『東京朝日』の記者から電話がかかってきた。文部省では文相のお声がかかったので、さっそく尋常科教科書に地震に関する一文を加えることになったとのこと。ついで東京放送局からも、その晩のニュースとして同じことが放送された。七年越し、いくども評議し、種々繁雑な折衝をしたにもかかわらず、いっこう埒らちがあかなかったのに、さすがは鶴の一声だと微笑ほほえまれるのであった。