初等科国語読本 教師用虎の巻

初等科国語 六 教師用
四 稲むらの火

教材の趣旨

「水兵の母」「姿なき入城」などの前教材に於いて、溢れるばかりの愛国の至情を感得したのであるが、本教材では、その余情を受けて、郷土・村民を愛護するために尊き犠牲的精神を発揮し、天災地変の間によく多くの人命を救助した五兵衛の崇高な行為に共感させようとするものである。

原據は、ラフカジオ・ハーン(小泉八雲)のGLEANING IN BUDDHA FIELDS(1897)の最初にあるA LIVING GOD(生ける神)の文で、その時事実談は、安政元年11月5日、紀伊国有田郡廣村を襲った津波の災禍に際し、濱口儀兵衛(梧陵)のとった決死的な行為である。この尊い美談も徳川時代に於いては、交通・通信なども不備であったために殆ど一般に知られず、やがて忘失されてしまうところであった。たまたま明治三十年、小泉八雲が、この美しい挿話をとりあげて、「生ける神」という文学作品に作りあげたのである。苟も文学作品である以上、事実と多少の相違があるのはやむを得ないことである。即ち、安政元年11月に廣村を襲った津波は、何回も襲来し、しかも4月以来しばしば強震があり、村人を驚かしていたのであって、八雲の文のように、微弱な地震の後、一気に襲来した激しい津波ではなかった。かつて濱口儀兵衛の処置なども、事実はもっとも複雑なものであったのである。  しかるに八雲の文章が、かくまでに、生き生きと津波の情景を描き得たのは、もちろんかれの豊かな想像力によることであろうが、或いは、具象化したものであるかもしれない。

いづれにせよ、国語教材たるの面目は、ある事実の正確さにあるのではなく、むしろその表現にあるとこはいうをまたない。してみれば、八雲の麗筆を更に児童の理解に即して単純化し、これを教材とすることは、何の妥当をかくものではなく、却って儀兵衛の尊い精神を生かすゆえんとなるであろう。

文章

文章全体が、あたかも劇の舞台面を眺めるように生き生きと描き出され、終始緊迫した感情の連続と叙景の点綴とによって構成され、美しく結晶されている。即ち冒頭がすでに「これは、ただごとではない」ということばに始まり、直ちに無気味な地震のありさまに筆が進められ、読むものの心を捉えてはなさない。

「大変だ。津波がやってくるに違いない。」
「よし。」
「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ。」

この五兵衛の簡潔な独白の中には、かれの叡智そのものの如き判断や男らしい決意や、さらに温情・悲願などが圧縮されており、また、この独白を縫う地の文は、かれの心情の推移を極めて巧みに情景と結びつけており、両者相俟って一層具象的に且鮮明にその心境を表現している。

かれの捧げた懸命野努力と、その張りつめた心魂も、「すべての稲むらの火をつけてしまう」と、急に力を失ってしまう。この興奮と沈静の対照は、天を焦らす「稲むらの火」の明るさと、「だんだん薄暗く」なるあたりの夕闇の明暗に比喩されるものの如く感じられ、おのづから、象徴的に香り高く表現されている。

さて「火事だ。庄屋さんの家だ」と大騒ぎしてかけつけた若者が、「すぐ火を消しに」かかると、五兵衛は、「うつちゃっておけ-大変だ。村中の人に来てもらうんだ」と大声で叫ぶ。これには、若者たちも、すっかり当惑してしまうが、この戸まどいの様子を、「もえている稲むらと五兵衛の顔とを、代る代る見くらべた」という叙述で具体化し、更に次の「見ろ。やって来たぞ」という五兵衛のことばによって、一切の疑惑を解決するようになっている。

そこで筆は、いよいよ津波のもの凄い狂暴さに進められて行く。
「海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。」
「その線は、見る見る太くなった。」
「非常な速さで押し寄せて来た。」

と漸層的な、しかも感覚的な描写は、あたかも目前に見るような迫力を持っている。それが、「津波だ」という叫び声とともに、一層すさまじさが募り、

「海水が絶壁のように目の前にせまった。」
「山がのしかかって来たような重さ。」
「百雷の一時に落ちたようなとどろき。」
「雲のように山手へ突進して来た水煙。」

などと、畳みかけるような表現によって、その襲来して来るおそろしさを如実に描いてある。この凄愴な光景には、村人たちは、ただ茫然自失するのみで、声さえ出なかったのである。「波にえぐり取られてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見おろして」いる哀れな、惨めな村人の群集がはっきりと見えるようである。
その村人たちが、ようやく「われに」返り、たとえ家も、財産も、悉く津波に奪われても、生命だけは助かり、「親も子も、妻も夫もうち揃っていられたということは、何といっても不幸中の幸いと思わない者はなかった。これは、ひとえに五兵衛のあの尊い決死的な犠牲精神と、愛に満ちた勇敢な行為のおかげであることを気づかないものはなかった。「ただだまって、五兵衛の前にひざまづいて」深く感謝している村人の謙虚な真実な姿とともに、折から、「風にあふられて」「もえあがる」稲むらの火に照らされて立っている五兵衛の神々しい姿が簡潔な筆致にまざまざと浮き出されてある。まさに五兵衛は、「生ける神」そのもののように神々しく見えたに違いない。こうした神聖な厳粛な場面を活写して、静かに筆を収めてある。
次の如き文によって書取させる。

今の地震は、今まで経験したことのない無気味なものであった。
大変だ。一刻もぐずぐずしてはいられない。
これで村中の命が救えるのだ。
日はすでに没して、薄暗くなって来た。
のぼって来る老幼男女を、一人一人数えた。
非常な速さで押し寄せて来た。
海水が、絶壁のように目の前にせまった。
百雷の一時に落ちたようなとどろきで、陸にぶつかった。
二度三度、村の上を、海は進みまた退いた。
救われた村人は、五兵衛の前にひざまづいた。

次のカナヅカイに注意させる。

ものではなかった。
地鳴りとは
地震には

昭和十八年八月二十九日    発行
昭和十八年十月二十八日  文部省検査済
昭和十八年十二月五日    翻刻発行
初等科国語 六 教師用
著作権所用 著作兼発行者 文部省
印刷所 東京都小石川区久堅町百八番地
日本書籍株式会社工場

名古屋 雑学資料館 中村新三先生提供