19 12月

防災と教育

防災と教育
国土庁広報誌 「人と国土」1986年11月号より
中井 常蔵

“稲むらの火”の思い出

昭和十二年、文部省発行の小学校第五学年用国語読本巻十第十課に登載されたのは私が二十八歳の青年教師として町小学校に勤務中のことで、奇しくも五年生を担任していましたので自作の文を自分で教える面映ゆさは八十歳を迎えた今も忘れ得ぬ憶い出であります。
私は「稲むらの火」の発祥地和歌山県有田郡広川町に接する湯浅に生まれ、物語の主人公五兵衛〔本名浜口儀兵衛、文政三年1820*年〕生明治十八年(1885年)ニューヨーク市で客死(65歳)号梧陵、千葉県銚子のヤマサ醤油醸造元浜口家第七世〕創立の耐久中学校に大正九年春からまる五か年通いつづけましたが、校舎は村の最南端に位置し、小浪洗う校庭の浜側は広川の河口から約七百mの大堤防延々と連なり、海面に接する防波石垣は高さ3.5m位、石垣の内側5、6mおいて幅20m高さ約五mの防浪土堤となり、石垣と土堤との間には二抱えもある巨松が延々と枝を連ね、土堤の内側には蝋燭の原料として当時珍重されたハゼの古木が立ち並ぶ緑と紅の通り路はこの世の楽園を眺めさしてくれ、その凡てが母校の創立者浜口梧陵の盟友一族が津波の災害を永久に防ぐために巨額の私費を投じ、四年の歳月をかけて安政五年(1858年)に造築されたことを知るにつけ、「よくも造られたもの」と子供心にも先人の安民救災の偉大な心に深く胸をうたれたものでした。
中学から師範二部へ、そして専攻科へと進学して社会と英語を専攻し、そこで英文教材に小泉八雲選集を学び数々のロマンチックな怪談と並んで”ア・リビングゴッド”の標題で五兵衛の”生ける神”の姿をまざまざと感ぜさせられる私でした。
「これだ! これだったのだ。」安政元年(1854年)十一月の大津波の夜、あの稲むらに火をつけた梧陵の心が巨大な防波堤となり、母校の創立と、伸びては和歌山県政から中央官界へと永久に光る偉業の一切は五兵衛の英知と愛の光だったのです。
私もやがて子供を教える教壇に立つのだ、教師の使命は子供を導くことだ。私には五兵衛のような力はないが教師としての使命感に立って、五兵衛の心を子供の心に植えつけることだ。七年間母校で学んだ答えがこのハーンの一文で私の往く手を教えてくれたのです。そして昭和九年、文部省が国語修身の新教科書を編纂するために全国の小学校教員を対象に新教材を公募するという画期的な募集が実施されることになりました。うつれば教育に傾注する年代であった私の心を強くゆすぶるものがあり、かねてから子供に親しまれ、子供の心に刻みつける教材をと念願していた私、「そうだ八雲の”生神様”だ!五兵衛の心を子供達に植えつけようと決意して原文を和訳し子供向きにと書上げたのがこの”稲村の火”として採用の歓びを得さして戴いたものです。
前述の通り原作はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)(1850~1904年)の1897年の著「仏土の落穂」の一編”ア・リビングゴッド”であり、題名は私が付けたものでありますが、八雲は儀兵衛を五兵衛とし、三十五歳の儀兵衛を老人とし、息子担を孫忠とし、居宅も山手の高台としている等々、日本を第二の故郷として永住し、報道関係から高校・大学の教壇に立ち、五十四歳の没年迄日本の歴史から国民性、民俗、風習等隅々まで研究をきわめながら、年代も地名も主人公も明記されなかったのは何故だろうか?、八雲の広く深い研究は日本の信仰、日本人の心には”生き神様”が宿っているのだ。”稲むらの火”は日本中何処でも何時でも燃えているのだという達観の中で、特定の人、時、所の本名を避けて「昔ある所に…」と書き出した浦島太郎や桃太郎の日本調物語風にした八雲流”心”の表現であり、津波の前兆を知らず祭遊びに酔う人々を危機寸前に救い出したあの行動は五兵衛の経験と学識の集積から生まれた機転であることを訓える手段として三十五歳の五兵衛をかなりの老人として暗示したものと私は受取っております。

新しい防災教育の提唱

“稲むらの火”は一世紀前に体験した防災の英知と防災計画の心の尊さを物語るものでありますが、お陰で広川町はその後再びあの恐ろしさに見舞われることなく海辺の楽土として栄えておりますが、安政元年(1854年)の頃から現代まで日本を襲った大地震や大津波は約二十四を記録され被害の状況など枚挙に暇ありませんが、その時、その所で五兵衝の智と心を燃やした方々も沢山あったこととは思いますが、百年も経った今日「生き神様」に縋るだけの事では国土の安定は望むべくもありません。
地上、地下、海上、海底の変動につながる大災は予知することも非常にむずかしく個人や地区の手で防ぐことも不可能という現状ではないでしょうか。
近い例では昭和五十八年五月、日本海中部地震の発生は秋田地方を大きな被害に見舞われ、分けても、たまたま遠足に浜辺に出た小学生が十三人も悲しい姿となりましたが、この報道を見た大阪市在住の五島隆春氏は悲しみと怒りとも言える思いを読売新聞社に訴えられました。五島氏は広川町に接する村に生まれた方で「戦前のあの教科書を習っていたら、こんな悲劇を防げたのではないか」との投稿でしたが、同新聞は二回に亘り社会記事として取上げ大きな反響を呼び、さらに、県下の新聞にも詳細に取材されると共に、NHKも私宅を訪ねられ取材の上近畿全域に放映された次第でした。
また、東大教授平川祐弘先生も「よき教科書の思い出」と題して講演されましたことが五月発行の雑誌「日本教育」に詳しく掲載されていることも知らして頂きました。こうした盛り上がりの中で、八雲の曽孫小泉凡氏も民俗学の研究で来県の際お立寄り下され梧陵の遺跡を案内さして頂きますし、その後、文部省統計数理研究所で防災教育を研究されている水野欽司教授もお訪ね下され梧陵の遺跡も巡られて”稲むらの火”の詳しい分析等を何回か御発表になり教材としての高い評価を賜りました。
この頃、退職公務員の恩給年金の大改革を中央で審議されることになり、退公連和歌山県会長で私の畏敬する貴志元夫氏が県連の公報に「恩給共済年金に大地震が!」と題して執筆され、私の”稲むらの火”を学ぼうと会員の決起を促したのをきっかけに全国退職公務員新聞にも登載され、これが導火線となって全国会員の方々から配本の希望が寄せられ、慌てて特集号を印刷して御希望に応えさせて戴きましたが、二、三か月で約千部を贈呈しその御礼状は私の机上に山積みし、防災教材として孫達えも教えたいとの熱意をこめられていることを拝読するにつけ防災意識の昴揚をひしひしと感ぜさせられます。

“大国日本”の忘れもの

戦後四十一年、地球の上では一握りほどの小さい国土に住まいして人口一億二千万人が密集を続けながら凡ての分野で成長の一途を辿り、経済面でも科学面でも世界の大国と評価される今日を迎えました。この要因は終戦以来貧苦の中で再起のファイトを燃やし続け、各分野での研究と新技術の開発に打込んだ成果であることは勿論でありますが、世界文明の頂点に立った今、富士山頂で山麓を眺める気持で世界全域を眺望して見ましょう。人種間の軋轢、国際間の政治摩擦、貿易摩擦、軍備の拡大、核兵器の進展等数々の問題を抱えて混迷の状態を露呈していることは何故なのでしょうか?。口先では相互理解、友好への前進、軍備の縮小、核廃絶など美辞麗句を並べながら実情は人類社会の大地震に入りつつあると言っても過言ではないという進行ではありませんか。
地球上約五十億という全人類の本当の幸せと平和の扉を開くと言う最高緊急の課題の在ることに気が付かないのではないかと私は叫びたいのであります。この課題を抱えて我々が忘れているものは何であるか。答えは一つ、国土を知らなすぎるという一点であります。
国土は我々の生活の舞台であり、一億二千万の国民がこの狭い舞台で必死の活躍を続けているのでありますが、この舞台は誰が造ったのか、どんなに造られているのか、舞台の上では晴雨あり、寒暑あり、舞台の下では地震あり、津波ありと数々の災害が年を追って繰り広げられているではありませんか。楽しみの舞台どころか悲劇の舞台になって行くではありませんか。昨夜のテレビでは鹿児島県桜島の大噴火に悩む山裾の住民のうち何十戸かが住居転居に踏み切ったと伝えられましたが、今日、国土庁編集の「人と国土」九月号を開きますと、第一頁に「防災の総合対策」と言う標題で東大名誉教授高山英華先生の随想を拝見しましたところ、日本の国土の特性と危険性を述べられ、その中で全国総合開発計画では東京への集中を避け地方への定住構想を強く打ち出されていることを知り、私はペンを持つ手を放しました。偶然と申しましょうか、今回の私の提唱の二つのうちの一つの軸はこれだったのですが、住居の地方分散による防災計画の推進が既に始まっているのだと教えられたからであります。残る一つの提唱に絞らして戴きます。

これからの防災教育

今年六月、私は所用を兼ねて大阪で一か月を暮らしました。その間に大切な義歯が壊れたので近くの歯科医を尋ねました。大勢の患者の待って居る中で二時間近く待たされましたが暇つぶしに書棚を見ると雑書の中に生長の家の月刊誌が置かれていたので何気なく手に採ってみると、昨年六月発行の谷口前総裁の「人間誕生の神秘と荘厳」を早速開いて見ました。谷口先生の博学と偉大な宗教家で万教帰一を生涯教え統けられたことは周知のとおりでありますが、私はその中で強く心をうたれたものは「天地創造の神秘現象」、「人間創造の神秘」から鉱物、植物、動物の発生等が非常に判りやすく、それも宗教的解明ではなく太陽はどうして生まれたか、地球はどうして生まれたか等、神とか実とか無とか言う表現も使われていますが、平易な科学的説明で、科学には幼稚な私にも理解出来る解明に接したことは初めてでしたので、家に帰ってから早速信者の家を訪ね貸して戴き家内一同にも噛みしめて読む様卓上に置かして貰いました。
現代の子供に太陽系の事や地球の事や月の世界のことなど、どの程度学習しているのか中三の孫の教科書を出させましたが、これは今流行の旅行案内図を思わせる様な編集で世界中の写真がアルバムの様に綴られているのに驚かされるばかりで、孫に聞きますと「うん、地球の事なんか理科で一寸習ったよ」と言う答えが返って来ただけでした。
現状ではどの教科書も編集はまちまちであリ採用も地方によってまちまちですから一体どんな構成で編集されているのか私には判りませんが、太陽の下、地球の上で色々な衛星、惑星との微妙なつながりの中で生かされて居る己を知ることの必要は何よりも大切なことでありますから、少なくとも理科、社会科においては己に一番つながり深い太陽、地球、月の世界との神秘性と科学的知識の門を開くことこそ悲劇の頻度の年々日々を防ぐ壁となって、安住の歓びを味わえる最上の道であることを学習の中で会得させるよう教育の灯を燃やしたいものと念願するものであります。先づ、現代の教育過程においてどのような防災教材が盛り込まれているか、全教科の編集内客を検討して学習する子供の年齢と知能に応じ社会科のどこに入れるか、理科のどこに入れるかを第一階段として整備編集してほしいものです。その為には、防災特に国土周辺の地殻、地質、海底の地理等に詳しい学識者に依頼して教材の構成を第一条件としてお願いしたいものです。
国土の安全対策推進については国土庁の重大課題として推進されて居ることは前述の通りでありまして、これは国の対策としてやがて必要都市に条例としても施行されることと思いますが、私の提言はこの対策の表裏一体観に立って人間それぞれの防災精神の涵養によって、自分で防災対応の生活設計を樹てて行く教養を求めるものでありますが、この素養には時間もかかることでありますが、国や都道府県の采配ではやれ居住地の移動とか、新住宅地の斡旋とか、各種補助金の交附とか、むつかしい問題に含まれることも予想されます今、時間がかかっても永久の防災行政の基礎造りとして検討実施を重ねて提言致します。
最後に防災教育の基本の一翼として、人命尊重の心の涵養を提唱します。
“稲むらの火”では五兵衛のあの咄瑳の機敏な行動と、己れを捨てて村人の命を護る崇高な心の現れを読みとることは出来るのですが、浜口梧陵はあの津波の直後、家を流された家族の住居を全部新築して無料で提供する一方、仕事を失った人々の働く場として、四年の歳月をかけて大防堤を造り上げた事実は誰知らぬ者なき偉業でありますが、このような偉業や美談は長い歴史を繙けば二宮尊徳を初めとして数多く記念されていることと思いますが、今の教科書には防災救民に心捧げた教材はどの位あるのでしょうか。
科学の分野で防災の基礎知識を植え付けると共に国語や道徳の教材に徳育の芽を育てて知徳一体の人間育成の教育をしてほしいと念願するものであります。

この文章は、中井常蔵先生の著作管理者である中井智一氏の承諾の元、掲載しています。