12 12月

和歌山縣編纂「昭和二十二年和歌山県行幸記録」より

行在所へ御還幸
昭和二十二年六月八日
かくて田邊市民、近村民の歓送裡に午後三時田邊駅発、午後五時二十五分東和歌山駅着、前日にもまして参集した人波の中を御召自動車は県庁に向かわられ、同三十五分県庁御着、御機嫌うるわしく行在所に入御あらせられた。
第二日の御多忙な御日程を終えさせられた陛下には御疲れの御様子もなく、第一日引き続き午後七時から行在所で次の六名の民間代表者から各種の事情をお聞取りに奏上者を感激させ・・・

かくて陛下には本県行幸第二日の御日程を終えさせられ御就寝遊ばされたが、この光栄ある奏上者の氏名並びにその要旨は次の通りである。

廣村防潮林について      濱口梧陵翁遺族    濱 口 儀 兵 衛
廣村は土地が低いため昔から度々津波の害をうけました。安政元年の地震、大津波の際は梧陵は三十五才でありまして、村民を督励して避難させたが、このときの被害は家屋流失百八十一戸、死者三十名にのぼりました。そこで梧陵は村民の安泰と失業救済の一つの目的で安政二年廣村海岸に防波堤の築造を開始し、農閑期を利用して四十七ヶ月延人員五萬六千七百余人をもって、堤巾十一間高さ二間半全長三百五十間の大防波堤を同五年に竣工、同時にその外側に堤防の土留めと防潮を兼ねて一列に数百本の松を植えました。この防波堤によりまして昨年十二月の地震による津波の襲来をふせぎました。
出典 和歌山縣編纂 「昭和二十二年和歌山県行幸記録」より一部抜粋
昭和二十三年五月十日発行