15 12月

「稲むらの火」を役立てて

防災教育 「稲むらの火」を役立てて
防災情報機構会長(元NHK解説委員)
伊藤 和明

今から20年前の1983年5月26日、日本海中部地震が発生し、大津波によって、青森県や秋田県の沿岸で1000人の死者が出た。なかでも涙を誘ったのは、男鹿半島の海岸に遠足に来ていた小学生13人が、幼い命を失ったことである。

このとき、「あの教材がもし教科書に残っていたなら、この悲劇は防げたかもしれないのに」という声が聞かれた。その教材とは、戦時中の小学石年生の国語の教科書に載っていた「稲むらの火」で、当時の子どもたちの心を強くとらえた作品であった。

こんな物語である。
村の庄屋の五兵衛という老人が、ゆひたりと揺れる不気味な地震を感じた。その後、海水が沖に向かって引いていくのを高台から目にする。「津波がやって来るに違いない」と予感した五兵衛は、家の庭に積んであった稲むら(刈り取ったばかりの稲の東)にたいまつで次々に火を付ける。そうすることで海辺に住む村人たちに、庄屋の家が火事だと思い込ませ、全員を高台に集め、津波から村人の命を救うことができた。

当時これを学んだ人の多くが、他の教材は忘れていても「稲むらの火」だけは鮮明に覚えでいるという私自身も例外ではない。軍国調一辺倒だった教材とは違って、この物語は、幼かった私自身の心にも深く焼き付いている。
この物語は、もともと1854年(安政元年)の安政南海地震の際に、紀州藩広村(現在の和歌山県広川町)であった実話がモデルになっている。

浜口儀兵衛という名家の主人が、地震のあと、高台に村人を避難させるため、若者たちに命じて水田の稲むらに火をつけさせ、暗夜を照らして避難路を確保した。との機転によって、多くの村人が津波から逃れることができたという。

この美談をもとに、明治の文豪小泉八雲(ラフカデイオ・ハーン)が英文の短編小説「生ける神」を書いた。これを読み、心を動かされた青年教師(中井常蔵)が、感動を子どもたちに伝えたいと願って「稲むらの火」を書き上げ、それが教材として採用されたのである。

考えてみれば、「稲むらの火」は、防災教育の不朽の名作だったといえよう。そこには、一年の収穫である「稲むら」を燃やしてまで。村人を救った五兵衛の物語を通して、人の命の尊さを教える防災の基本理念が盛り込まれている。

また、海水の異常な動きから、津波の襲来を予見した五兵衛の自然認織の確かさを通し、先人からの伝承がいかに大切なものであるかをも教えている。

さらに五兵衛の行動は、危険を予知したとき、速やかにその回避につとめる、いわば地域防災の責任者としての行動であって、耗に通じる危機管理のモデルとも言えるのである。

いま日本では、「東海」を始め「東南海」「南海」といった大地震の発生が危ぶ漢れている。これら巨大地震は、いずれも大津波災害をもたらすことは間違いないだろう。そんななかで、防災の理念を正面切って声高に叫ぶよりも、「稲むらの火」のような感動的な物語を通して、人の心を打つ教育、情緒や情感に訴える教育の方が、はるかに勝っているように思えてならない。

20年前のあの子どもたちの死を無駄にしないよう、この物語を、末永く後世に伝えていきたいものである。