10 3月

「濱口梧陵君伝」 -瀬川光行編「商海英傑伝」より-

「稲むらの火」の教科書掲載(昭和12年)に先駆けて梧陵さんの安政津波の際の行動に関して記された著書がいくつか存在することはご存知のことかと思います。その一つが、本サイトのトップページのメニューから閲覧できる「和歌山県郷土読本」です。ここでは、編者の調べでは最も古いと考えている瀬川光行編『商海英傑伝』(明治26年発行)に収められている「濱口梧陵君伝」を紹介させて頂きます。

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 「濱口梧陵伝」(国立国会図書館蔵)

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 瀬川光行編 『商海英傑伝』 奥付

 -編集後記−
「商海英傑伝」発行年の明治26年には、広川町の八幡神社の裏山に勝海舟撰文の「濱口梧陵君碑」(4月)が建碑されている。編者の瀬川光行は、東京で議員などを歴任していることから、勝海舟との関係から梧陵さんのことを知ることになったのではと考えています。瀬川光行の出身地である、湯沢市(秋田)の市役所や地元紙の秋田魁新報社に瀬川光行に関すること、或は顕彰されている方などを紹介して頂けるようにメールを送りましたが、現時点では、その返信などは届いていません。ネット上での情報で、湯沢市にあった「麗澤舎」という塾の出身であることは分かっています。また、「商海英傑伝」以外にも、日本各地の名所などを写真集にしたものを瀬川は発行しています。紀州(和歌山)に関しては、広川町の隣町である由良町の興国寺の写真などが収められています。と云うことで、瀬川が実際に梧陵さんの生誕の地である広川町にも足を運んだ可能性もあります。写真集の序章には、耐久中学に来校した澤柳政太郎(東北大学総長、京都大学総長)が文をしたためていることから、梧陵さんのことを多方面からも聞いていたとも考えられます。

尚、ハーンが「生神」を書くきっかけになった明治三陸大津浪(明治29年)が発生したのは明治29年になります。従って、「商海英傑伝」は、それ以前に発行されていることになり、前述の和歌山県郷土読本(昭和7年発行)の中にある梧陵さんに関する伝記とは少し違った意味を持つ資料になると考えます。

また、その内容に関してですが、「安政2年10月2日夜」に有田郡を大きな地震が襲ったように記されていますが、ご存知のように有田郡を襲った地震、津波は「安政元年11月5日」に起こったものです。(「安政2年10月2日」と記されているのは、関東地方を襲った地震と著者が混同していたように思います。)他にも、梧陵さんが欧米視察に出国したのは、明治17年の5月で、その途中のニューヨークで客死したのは、その翌年の4月になりますので、日時の表記に於いて正確でない箇所があります。また、「於是君先つ人に命して巨砲を連発し人の向ふところを知らしめ」と記されていますが、梧陵さんが遺した手記に書かれている、津波の来襲に先立って、巨砲が連発されるような音が聞こえたことを、そのように表現したものと考えられます。

当サイトの閲覧者で、瀬川光生に関して、ご存知の方はご連絡頂ければ幸甚です。4年後には、梧陵さんの生誕200年を迎えることになりますので、多方面からの情報を募っています。ご協力宜しくお願い致します。