13 12月

「地震に学び、忘れず、備える」

「地震に学び、忘れず、備える」 津村建四朗

「写真、絵画集成 日本災害史 第二巻 地震・津波」P190
日本図書センター刊

「天災は忘れた頃にやって来る」は、寺田寅彦の有名な警句として、しばしば引用される、ある場所を大地震や津波が襲う間隔は、ブレート境界の大地震で数十年から100年程度、プレート内のいわゆる直下型の大地震になると、数百年から数千年と長い。地震、津波災害は、まさに忘れた頃にやって来る天災の代表である。しかし、このような繰り返し間隔の極めて長い現象による災害を、ある個人が一生のうちに再び体験することはむしろ希である、そして、実際に震災を体験した者にとって、その記憶は容易に消えるものではない。筆者は1946年の南海地震津波を体験したが、押し寄せる津波の不気味な音を背に、必死で高台に逃げ延びた少年時代の記憶は50年たっても鮮明である。

つまり、個人の体験としては、忘れられない震災に運悪く再会する者が少数いるが、忘れた頃にやって来たという者はむしろ稀で、震災には初めて出会う者が圧倒的に多いのではなかろうか。したがって、大切なのは、誰かが体験した震災の実態とその対処法を真剣に学び、それを忘れず、個人としては初めて出会うかもしれない天災に備えることだということになる。単に震災の様子をテレビで見た記憶があるという程度の「忘れない」では役に立たない。さらに、個人ではなく、家族から地域社会、国というふうに範囲を広げて考えると、世代を越えて長く忘れないためには、災害から学んだ教訓を積極的に教え、伝えることが必要である。特に義務教育の役割が大きい。

災害の報道や記録は、当然のことではあるが、被害を受けた人やもの、特に“人災”の側面に焦点を当てて行われがちである。それらを分析して対策を講ずるこ とは勿論大切である。しかし、耐震的に設計施工されていたために同じ激震に襲われながら倒れなかった家のことや、住民が力を合わせて防火に努めたために延 焼を免れた街のことや、迅速適切な避難行動をとったために津波被害を免れた人々のことももっと取り上げ、学ぶことも必要であろう。

戦前から終戦直後までの約10年間、小学校の国語教科書で教えられた「稲むらの火」(本書,26ぺ一ジ)は、そのような例である。高台に住む庄屋さんが、 不気味な地震と海水の異常な動きから津波が来ることを予想し、家のまわりの田んぼに積まれた稲むらに火を放ち、消火に駆けつけた村人たちを、押し寄せた津 波から救うまでの経過がリアルに描かれていて、津波の恐ろしさ、迅速な避難の大切さ、そして収穫を無にしても村人を救おうとした主人公の崇高な精神を、こ れを学んだ小学生の脳裡に、深く刻み付けたものである。 これは、ラフカディオ・ハーンの英文の作品をもとに、中井常蔵が美しい日本語に凝縮したもので、不朽の防災教材として有名である。1983年の日本海中部 地震の際山間部から遠足にきた小学生たちが、地震直後に海辺に降り、押し寄せた津波にさらわれて13名が犠牲となった。この後、もしも、むかし学んだ「稲 むらの火」が今でも教えられていたら、この悲劇は防げたのではないかという年配の方からの投書が新聞に載ったことからも、このような教育の効果がうかがえ る。

ハーンはこの物語を安政南海地震津波のときの逸話と、約2万2,000人という多数の犠牲者を出した明治三陸地震津波の悲惨なニュースとにヒントを得て創 作したようである。逸話の主人公、浜口儀兵衛は、約100年後に襲うであろう次の津波に備えて、私財を投じて海岸に堤防を築いた。村(現・和歌山県広川 町)では、毎年1回、村人総出でこの堤防を補修し、先覚者の偉業に感謝する「津波まつり」を続けていた。92年後に、昭和の南海地震津波が襲ったが、村は この堤防に護られて流失を免れた。「津波まっり」は現在も続けられ、2回の津波の記憶が次の世代に受け継がれている。なお、「稲むらの火」の引き潮の描写 はきわめて印象的であるが、津波の前には必ず潮が引くとは限らないので注意が必要である。

個人が体験を忘れないうちに再び同様な災害に見舞われた実例としては、1993年の北海道南西沖地震で大被害を受けた奥尻島がある。同島はその10年前の日本海中部地震津波にも襲われ、死者も出していた。

その記憶が風化していなかったため、気象庁の津波警報を待たず、迅速な避難が行われた。大津波があまりに早く襲来したので、200余名の死者、行方不明者 を出したが、もし、逆の順序で起こっていたら、犠牲者は遥かに多かったに違いない。もっとも、10年前の津波ではすこし時間的余裕があったという記億が災 いして、逃げ遅れた人もいたという。個人の限られた体験の記憶だけではなく、地震、津波と防災の基礎知識と臨機の対応能力が必要であることを教えている。

地震災害(震災)の原因は、地震による強震動、それによる斜面崩壊や地盤の液状化、地震に伴なう津波や地殻変動などの自然現象であるが、そこに被害対象と なる人やものがなければ、災害は発生しない。さらに、災害の規模は、地震発生の季節、時刻、気象条件などにも影響され、また人やものが地震に対してどれだ け備えているかによっても大きく違ってくる。これらの要因が複雑にからみあって、さまぎまな規模や様相の地震災害が発生する。よく、混同して用いられてい るが、震災は地震によって発生した災害のことある。地震の発生は止めることはできないが、震災は人の努カで軽減できる。我が国では、明治時代以降、濃尾地 震や関東大震災など大きな震災が発生するごとに、その経験を踏まえて震災を防止軽減するための努カが重ねられてきた。これにより、建築物や構造物の耐震化 技術は、長足の進歩を遂げてきた。しかし、阪紳・淡路大震災は、それがまだまだ完全でないことを痛感させた。また、多年の研究にもかかわらず地震予知はな お困難であって、現状では大地震は予告なしに襲うとして傭える必要があることも改めて認識させた。 日本では、終戦前後の6年間に5つの大地震が毎牢のように襲い、いずれも1,000名を超える死者を出した時期があった。しかし、1948年の福’井地震 を最後に、津波によるものを除けば、死者が100名を超すような地震災害を経験することなく、50年近くが過ぎた。この間、日本は戦後の荒廃から復興し、高度成長を遂げ、都市化や交通機関、ライフラインの高度化がすすんだこの間にも、大地震の発生があり、防災上重要な問題を 提起した地震も少なくなかった。たとえば、1964年の新潟地震では、地盤の液状化による被害が大きく、その対策の重要性が認識された。1968年十勝沖 地震では、それまで安全と考えられていた鉄筋コンクリート造の建物に大きな被害が発生し、耐震設計基準見直しの契機となった。I978年宮城県沖地震で は、ブロック塀の倒壊や落下物による死傷者が多く、造成宅地の斜面崩壊による住宅被害、ライフラインの長期障害などとともに、都市型災害として注目され た。最近も、1993年の釧路沖地震、北海道南西沖地震、1994年の北海道東方沖地震、三陸はるか沖地震のように規模の大きい地震があいついで発生した が、建物がかなり破損することはあっても、倒壊によって多数の死者が出るというような災害を経験することなく過ぎていた。そのため、次第に日本の建築物、 構造物は耐震化がすすみ、外国のような被害にはならないという過信が専門家にも生まれていた。

1995年1月17日、兵庫県南部地震が発生し、死者6,000名を超える阪紳・淡路大震災をもたらし、この「安全神話」を崩壊させた。今回の震災の原因 は、大都市直下で震源断層が動き、地下構造や地盤の悪さという要素も加わって、きわめて強い地震動が人口密集地を襲ったことであるが、祉会全体が地震への 備えを忘れていたことか災害を大きくした。今回は、冬の夜明前の5時46分に発生したことが、災害の明暗を分けた。新幹線、高速道路、鉄筋コンクリート造 のビルなど、壊れないはずだったものに大きな被害が出て衝撃を与えたが、社会活動が始まる前であったので、これらは大きな人的災害につながらないですん だ。今回も、人的被害は木造家屋の倒壊による圧死や窒息死がもっとも多く、地震火災による焼死がそれに次いだ。古来繰り返されてきた日本の震災をまた再現 してしまったのである、ほとんどの人が自宅で就寝中という時間帯は、この面では最悪であった。しかし、家族あるいは隣近所が一緒だったことは、直後の自主的な救助活動や消火活動には有利でもあった。災害発生直後の情報収集や救災活動などの初動対応の遅れも問題となり、震災後、改善の努力が続けられている。

しかし、いくら改善されても災害発生!直後の公的救援には限界がある。初期段階では消防車も救急車もパトカーも来てくれるとは思わず、居合わせた人たちが 協力して応急対応する必要があることを改めて認識させたのも今回の教訓のひとつである、さらに、死者の多くは即死に近く、起こってからでは救えないという 事実も直視する必要がある。根本的には、各自で建物の耐震化、室内の危険物の除去、火災予防と初期消火等に努めて、すこしでも救援を必要としないようにす ることが大切である。震災後、多くの自治体では今回の災害データを基礎に改めて被害想定を行っている。その結果は、数百人、数千人の死者を予測しているこ とが多い。そのような際の対策を考えておくことはまず必要である。しかし、被害想定どおりの数字になっても当たり前ということではなく、公的機関も個人一 人一人も、なぜ被害が発生するのか、どうすればそれを防げるかを真剣に考え、事前の対策でそれをゼロに近づける努カをすることが必要である。その際、阪 神・淡路大震災はじめ多くの過去の震災の教訓を忘れず、活かすとともに、まったく同じ自然現象が繰り返されるわけではなく、また社会の進歩とともに新たな 災害要因も加わることも考えて将来の災害を予測し、備えることが必要である。最後に、地震予知は現在なおきわめて困難である。しかし、実現すれば防災上の 効果はきわめて大きい。

このような課題には、時代を越えて取り組み、研究が続けられるよう希望したい。