和歌山県郷土読本より

和歌山県郷土読本 上巻
昭和七年八月三十日発行
和歌山県教育会

 濱口儀兵衛

 この事件の起った頃、儀兵衛はかなりの老人であった。 その家は村での物持であった上、長い間村の名主を勤めたので、儀兵衛は村の人々から尊敬されてゐた。村の人たちは、儀兵衛を「濱口のおじいさん」と呼んだが、村第一の金持なので、「濱口の大尽」とも言ってゐた。儀兵衛はいつも小作人や漁夫の為になる事ばかりしてゐた。けんかの仲裁から、困った時の金の立かへ、時には貧乏人にただ同様にお米を売ってやりもした。
 儀兵衛の大きな草ぶきの家は、一つの湾を見おろした小さい高台の上に建ててあった。高台は、小さい段々の水田が浜の方に向って作られていて、三方は山に取巻かれてゐた。
  この土地は、海に向ってその山腹から浜辺までゑぐり取ったやうになってゐて、儀兵衛の家は、その中程の高台にあったのである。海の方から見ると、細い、白いうねうねした道が、段々の田を左右に分けて、下の村から儀兵衛の家へと上ってゐた。 さうして下の村には、湾に沿うて九十ばかりの草ぶきの家と、一つの神杜とが並んでゐた。  秋の或夕方であった、儀兵衛は下の村の祭の用意を、自分の家の縁側から眺めてゐた。その年は非常に稲の出来がよかったので、氏紳で盛な豊年祭が行はれることになってゐた。儀兵衛は、村の屋根の上にひるがへる大のぼりや、竹の竿についた祭提灯や、神社の森かげに見える飾り燈篭や、はでなそろひを着た若い人たちの群を見ることが出来た。その時俵兵衛と一しよにゐたのは、小さい十歳の孫だけであった。他の者は早くら村の方へ下りて行ったが、少し気分の悪かった儀兵街老人は、孫とさびしく留守居をしてゐたのであった。
 その日は秋だといふに、何となしにむし暑かった。夕方になるとそよ風が出たが、それでも何だか重苦しい暑さが残ってゐた。そんな日にはとかく地震があるものだったが、この日も間もなく地震が来た。その地震は、別に驚くほどのものではなかった。しかしこれまで幾十回となく地震を経験してゐる儀兵衛老人には、変に思はれた。長い、のろい、ゆったりとしたゆれやうであった。家はきしみながら、幾度かおだやかにゆれて、またもとの静かさに返った。
 地震が終ると、儀兵衛のするどい、考へ深い眼は、気づかはしさうに下の村を見た。思はず立上って海を眺めた。海は不意に暗くなって、何だか風と反封に浪が動いてゐるやうだった。浪は沖へ沖へと走ってゐた。
 忽ち下の村でも、この妙な出来事に気がついた。先の地震を感じた人は一人もなかったが、この海の動きには、皆がたしかに驚いた。 儀兵衛の眼にも、村の大勢が浪際へ浪際へと走るのが見えた。誰もかつて知らぬほど、海水が引きはじめた。これまで知られなかった肋骨のやうな畝のある砂の廣場や、海草のからんでゐる大きな岩底が、見てゐる間に現れて来た。が、村の人々は、この意外な引潮がなぜ起るのだか、知らないやうだった。 儀兵街自身も、こんな有様を見たのは始めてだった。しかし幼い時に父が話したことが、ふと胸に浮んで来た。彼には海がどうなるかがわかった。多分この時、儀兵衛老人のとっさに考へたことは、下の村へ孫を使にやるにかかる時間のことであったらう。山のお寺の僧に大釣鐘を鳴らしてもらうまでにかかる時間のことであったらう。儀兵衛は孫に向って、大声で命じた。
 「おい忠、早く。大急ぎだ。たいまつをつけて来い。」
たいまつはあらしの晩に使ふために、海岸の村々ではどの家にもあった。子供はすぐに持って来た。すると、老人はそれをつかんで、家から少し下った田に急いだ。其処には濱口一家の熟しきつた稲の苅束が、うづだかく積んであった。儀兵衛はその近いものに火をかけた。日に乾いたわらは、吹上げる海風にどっと燃上つた。老人は、走って第二の稲の山に火をつけた。第三の山にもつけた。一山々々、忽ちに天に沖する大きな煙のうづが、幾條も幾條も合して空に高くうづ巻いた。孫の忠は青くなって、
 「お祖父さん。お祖父さん。どうしたの。どうしたの。」 と叫んだが、儀兵衛は答へようともしなかった。
  彼はたゞ命のせとにある下の村の四百人のことばかり考へてゐたのだった。忠は突然泣出して、家の中へかけこんだ。お祖父さんが気が狂ったと思ったのである。
 儀兵衛は自分の家の最後の稲むらに火をつけると、そのたいまつを投出した。と同時に、この焔に、山寺から鐘が鳴りはじめた。村の人々はこの鐘の響に、この煙のうづ巻に、浜辺から村を過ぎて、丘へ丘へと上って来た。
 日は沈みかゝってゐた。湾のしわのある海底や、まだらに土色のある大きい砂原の廣がりを、最後の夕ばえがぼんやりと照らした。浪はまだ沖へ沖へと走ってゐた。
 しばらくすると、火消の一隊が高台に着いた。その二十人ばかりの村人は、すぐ稲むらの火を消しにかゝらうとしたが手を挙げて止めた。
 「うっちゃって置け。燃やして置け。大変だ。村中皆此処へ来るのだ。」
 村中の人々は追々と集った。若い男たちや子供が来た。元気な女たちや娘などが来た。大勢の老人も来た。しまひには、上からの合図に、子供を負うた母親たちが来た。次第に集った人々は、やはり何事か知らずに、たゞ燃えてゐる稲と儀兵衛の顔とを、不思儀さうに眺めてゐた。日は沈んだ。
 「お祖父さんが気が狂ったんだ.お祖父さんが火をつけたんだ。」
孫の忠はすゝり泣きながら言った。
 「火をつけたのはおれだ。だが、村ぢや皆来たか。」
儀兵街がはっきりと言った.村の組合の重だった者や、家の主人たちは、人々の顔を見廻はしたり、坂を上って来る者を教へたりして言った。
 「はい、皆ゐます。でなくても、すぐに移ります。一体どうしたのですか。」
 「来た。見ろ。」
と沖の方を指さして、力一杯の声で叫んだ。
 「来た。どうだ。おれは気ちがひか。見ろ。」
たそがれのうす明りをすかして、一同は西の方を見た。そして薄暗い地平線の端に、まるで海岸のやうな細い長い一線を見た。それは見てゐる中に太くなった。線は広くなった。忽ちその長い暗がりは、堤のやうに、さうして絶壁のやうにそびえて、鳥の飛ぶよりも早く進んで来る。押しかへしの浪だったのである。
 「津浪。」
と人々は叫んだ。海が恐しく盛上って山々をとゞろかす程の重さで、雪をつんざいたやうなあわと共に海岸にぶつかつた時、何とも言へぬ重い強い響がした。 一時は、雲のやうに坂の上へ突進して来る水煙のあらしの外には、何も見えなかった。人々はうろたへながらおびえた。さうして再び見直した時、人々はその家々の上を荒狂って走る白い恐しい海を見た。その海は、うなりながら土地のあらゆるものを引きちぎって退いた。二度。三度。五度。
浪は進んでは退き、また進んだ。しかしその度毎に浪は小さくなって、だんだん元の海へと帰って行く。大風のあとのやうに荒れながら。
 高台の上には、しばらく何の声もなかった。一同は下の村の荒れたのを、無言の中に見つめてゐた。投出された岩や、さけて骨の出た絶壁の物すごさ。家や社のさらはれた跡には、海底からもぎ取られた海草や、砂利がはふり出されてゐるむごたらしさ。村はない。田畑の大部分もない。浜には家が一つもない。見えるのは、たゞ沖の方に物狂はしく浮き沈みする藁屋根の二つ三つだけである。死をのがれた恐しさと、家と財とをうばはれた悲しさに、人々はたゞ茫然とするばかりであった。老人が再び言った。
 「稲に火をつけたわけはあれだ。」
人々は自分の命の救はれたことに気がついた。思はず地面に土下座して、儀兵衛の前で涙にむせんだ。老人も泣いた。さうして無理をした身体の苦しさをこらへつゝ叫んだ。
「さあ、おれの家は村の家だ。 お寺もある。皆しっかりしろ。」
彼は先に立って案内した。人々はたゞ叫んだり、ときの声を挙げたりした。
 それから村の困難は随分つゞいた。しかし村は迫々に回復した。それには老人の努力も大きかった。
 村が再び建て直された時、人々は、儀兵衛の恩を忘れなかった。
彼等は、儀兵衛の心は全く神の如きものであると思った。そこでその御魂のために一つの社を建てて、鳥居の上には金字で「儀兵衛大明紳」の額をかけた。村中はこの紳の前に祈と供物とを捧げるのであった。

(小泉八雲)